令和3年4月度 茨城放送番組審議会議事録概要

番組審議会議事録概要

令和3年4月度 茨城放送番組審議会議事録概要

開催日時
令和3年4月28日(水)
AM10:31~AM11:25
開催場所
茨城放送本社3階会議室
委員の出席 [*印 委員長 ・印 副委員長]
  • 渋 谷 照 夫 [ * ]
  • 小 西 俊 一 [ ・ ]
  • 池 田 敦 彦
  • 鎌 田 賢
  • 菊 池 康 弘
  • 柴 田 敦
  • 鷲 田 美 加

茨城放送出席者

  • 取締役会長

    北 島 重 司

  • 代表取締役社長

    阿 部 重 典

  • 報道広報事業部サブリーダー

    畑 中 一 也

  • 番組審議会事務局

    宮 田 浩 二

議題
「震災10年 茨城から 3.11 生放送」
令和3年3月11日(木)13:00~16:00放送

委員からの意見

委員

 一言で言うと、震災から今日までの縦軸として、茨城放送があることを強く感じさせてくれる番組だった。生放送の震災特番。今この時を切り取って震災からの振り返りを行うところに、この番組の深い思いと意気込みを感じた。今でもはっきりと覚えているが、当時、渡辺美奈子アナウンサーが何度も繰り返しリスナーに対して、「落ち着いて行動してください。上から物が落ちてくるかもしれないです。気をつけてください」と生放送からの切り替えにも関わらず、本当に素晴らしい対応をした。その後の茨城放送の活躍というのは、地域メディアとして、インフラがさまざまなかたちで途切れていった中、圧倒的な存在感を放っていた。そのことを克明に思い出した。
 防災キャスターとして数多くの取材をしてきた樋口さんのコメントを交えながら、二人で構成される作り方。素晴らしかった。人間は忘れてしまう動物。10年前のこと、その後の取材、一度は全て見聞きしたはずだが忘れていることが多く、それを繰り返し見せることの大切さを感じた。
 局内でも語り継ぐということ。入社2年目の大島アナウンサーを入れ、はっきりと見える化しているのが素晴らしい。なかなか経験者が言えないような、「なぜまた津波が来るかもしれない大洗で、ここでなぜやっていくのか」という質問を彼女からさせたこと、本当に素晴らしかった。それに対し、まいわい市場の代表の方が「仲間とここでやっていくんだ。手を取り合ってそこでやっていくんだ」と強い言葉があった。一生懸命にこの場で頑張っていくという精神性まで感じ、一言一言感動しながら聴いた。
 今回の番組、データも含めて茨城県のことだけを伝えていた。あの時、私達が本当に欲しかったのは、全国がどうなっているのではなく、私達が住むこの地域の情報だったと改めて思い出した。今後もこの震災について、どのように茨城放送が取り上げるか注目されていると思う。持続しての放送をお願いしたい。

委員

 今回の番組、震災からちょうど10年という節目の年に、3月11日の午後1時から4時、震災が発生したその時間帯に生放送をしたことが1つの大きなチャレンジだった。
 前向きな話は勿論、課題が率直に出ていたところがすごく聴きごたえがあった。ところところで進んでいないといった話や、まだ不足してる話など率直な話が出来ている。変化もあり、比較的若いアナウンサーを起用していた。この10年というかたちを見る中では、そこが少しスパイス的な要素になっていて良かった。いろんな経験をしながら、実際に復興にあたっている方々の話を聴く。そういう視点からの質問で、新鮮に聴けた。
 番組の後半、震災が発生した直前、あと2分で46分になりますという話があった。あの瞬間というのを私も思い出した。多くの人がきっとそうだったのではないか、あの時間何してたかということを鮮明に思い出した。演出的にもそうだと思うが、10年前を思い出させることで、意義のある番組だったと思う。今後継続していくこともある種の使命だと思うし、これからも啓蒙活動を続けていくことが大事だと改めて思った。
 この時期、テレビなどでも頻繁に特集されるが、東北の話が中心で茨城の話は出ても少ししか取り上げられない。県内のことに特化し、その時こうだった、10年間でこのようなことがあった、ここまで復興してきたことなどにスポットをあて、ほぼそれだけで構成されていたことはすごく良かった。これからもそのようなところにスポットを当てた放送に注力してほしい。

委員

 震災のあと数年間、懇親会や飲み会などでは必ず「あの時は大変だった」という震災体験話を参加者全員が語り終わった後でないと、次の話題へ進めないという状況があった。10年を経た今では、当時の記憶は忘れていなくても、それを語ることは忘れているように感じる。
 番組では「語り継ぐ」をテーマに、大きな被害を受けた各地から、復興状況、未だ残る問題、次の災害に備える準備の状況がレポートされ、午後2時46分の直前にはスタジオの渡辺アナウンサーから地震発生時のスタジオでの記憶を呼び起こした語りがあった。特に印象的なのは、大島アナウンサーが慎重に投げかけた質問と大洗まいわい市場代表の常盤さんの答え。また津波が来るかもしれないが、それに備えつつ、生産者を含めた仲間と海辺で事業を続けたいとの強い思いが示され、本当に印象的だった。
 当時大学生だったリスナーのメールから「ラジオがあるとよかった」など、経験で得た知見を共有して役立てるために語り継ぐことが大事との意見が紹介された。大津港からのレポートでも、高台への避難する方法の確保などの問題が指摘された。番組を通し、経験から得た知識をもとに備えを計画し、実施して、継続していくことの大切さを思い出すことができた。学んだことに対しての対策は是非続けていきたい。
 同じような災害が県内で起きたら何ができるか、どう備えておくかの啓蒙を続ける防災ステーションの活動に感謝したい。

委員

 今回の番組、樋口さんの「もう10年まだ10年」というその言葉に象徴された番組だった。10年間、茨城県で生活しててきた人はしみじみと聴けて、色々な教訓とか蘇ったと思う。
 放送が命を守ることに尽きるこの10年間。茨城放送が根気よく放送しつづけた企画。ベテランアナウンサーの二人が中心となり3時間放送しつづけた10年目にふさわしい番組だった。
 記者レポートで、立川記者が取材した大津漁港では原発についての風評被害で大変苦労している。これは意外と全国的にも知られてないし、国ではあえてこれを避けてるんじゃないかって思うほど大津漁港では大変な思いがあり、いまだに大変苦労してる。
 水越記者が取材した潮来市の潮音寺の法要、大変印象に残った。大洗まいわい市場では、鹿原記者と一緒に行った2年目の大島千穂アナウンサー。大島さんの質問が良かった。不躾ですがと言いながらも、「また津波が来るかもしれないのに、それでもやろうとするのはどういう思いですか」と訊いた。それに対する答えを渡辺アナウンサーが樋口アナウンサーと一緒にもう一度それを取り上げた。何故それを続けるのか、それは仲間と歴史がある。だから継承したい。災害から立ち直る時にこのように思うのだなと心に沁みた答えだった。
 音源を聴いたあと、これ以外の放送がどんな内容だったのか少し気になった。この番組で一番良かったのは語り継ぐをテーマにしたことだと思う。雄弁であることは必要なことだが、実は雄弁よりも聞き上手、人の話を聴くということが肝要ではないか。茨城放送は、「聴く」ということを特に時間を取って進めているのを感じる。特に樋口アナウンサーは、この10年間ずっと震災の現場に行って聴いていた。実に聴き方が上手、もう名人だと思う。あの聴き方が出来ない。静かに落ち着いてじっくりと聴く。いつまでも聴きますよといった感じの聴き方。あのような姿勢がこれからの放送でも大事なことだと思う。

委員

 語り継ぐをテーマに制作された特番のダイジェスト。未曾有の大災害に遭遇して、実際に被害の現場を目撃したり、被災状況を伝え続けた経験を持つ記者やアナウンサーのレポート、それと、関係者のインタビューなどで構成され、リスナーに震災の記憶を思いおこさせ、防災意識を高める効果があったと思う。番組は津波や液状化の被害から、復興した街の光景、あるいは震災犠牲者を追悼する催しを生中継で淡々と伝えていた。記者やアナウンサーには、現場の様子を的確に伝える表現力といったものに加え、人によりそって話を聴く力というのが求められているのだと改めて感じた。津波に襲われた大洗まいわい市場の代表が同じ場所で店を再開して、仲間がいる限り生産者の皆さんと歩んでいきたいと語っていた。まさにこれは生の声の訴求力の高さ、というのものを感じた。前向きに頑張ろうという気持ちが伝わる言葉をよく引き出していた。
 一方で、津波の被害に見舞われた人が仲間の支えで再び歩みだした、報道する側にとっては扱いやすい被害者の物語の1つであり、他にもひょっとしたら声を上げられない多くの被災者がいるのではという思いも巡り、むしろそんな人たちの声を拾う努力がさらに必要なのではないかと、報道に携わる者として自戒も込め思った。
 番組の中で渡辺美奈子アナウンサーが発生当時のことを振り返り、揺れが激しさを増し、吊られたマイクがブランコのように揺れたと表現した。緊迫した様子がよく伝わった。また、液状化の被害を受けた潮来市日の出地区を取材した際に住民から「安全な場所から来て、声だけ取って帰るんでしょう。だから報道の人は嫌いなんだ」という言葉に対し、「茨城放送です。水戸から来ました。私も自宅が被災しています。同じ県民として話を聞かせてください」と返したエピソードが示され、災害報道する側が同時に被災者になるという厳しい状況であったこともよく伝わった。
 災害をテーマとする番組というのは、3月11日だから特別ということではなく、常に必要されている。東日本大震災を教訓に次に起こり得る災害に対しどんな備えが必要なのか、これからも地域密着でリスナーに対し的確な情報を伝えられるの番組づくりを期待したい。

委員

 とても人の話をよく聞き生の声を伝えている番組というのが、第一の感想。さらに、現場という事にこだわっていると感じた。地元密着でこのような防災意識を高める取り組みをしていることに大変強く共感する。敬意を表したいと思うし、そこに地域密着型のラジオ事業の大きな意義があると感じた。
 茨城県が被災県であることは認識していたが、東日本大震災といった時に被災三県という言われ方については違和感を持つべきだし、今回この放送を聴いて、そのようなことではないなと私自身報道に携わる者としても自戒の意味を持って再認識した。現場をよく取材されて、人の声を拾われている。その訴求力は大きい。
 当時10年前の発生の瞬間に、曲を流している時に強い揺れに見舞われた。身体が前後に揺さぶられて、吊られたマイクがブランコのように揺れた。そのような中で放送したことを自身のまさに体験として語っている。体験の強さと同時にディティールの強さ、それを本人がはっきりと10年たっても記憶している。災害の大きさを語るエピソード。放送に携わる方のある種の矜持を感じさせる体験談と感じた。このような事を放送の中で、どんどん織り込んでいくと訴求力が増すのではと感じた。
 人の心の復興。例えば身内を亡くされた方や犠牲になられたご遺族の思いを何とか汲み取っていくこと。人によっては災害は終わっていない、10年たっても終わっていない。そのようなことがもし何らかの声として他の部分で放送していたか、あるいは別の日に触れていたかもしれないが、あるとさらに素晴らしかった。10年経ったが、風化させないという意味ではこのような取り組みは同じメディアに携わるものとして期待したい。

委員

 茨城放送は、現場レポートを大事にしている放送局という風に感じている。今回の構成も被災地をリレーしながら、それぞれの紹介したところを感想述べたい。まず、北茨城市。市長のインタビューということで、防災とか減災に取り組んでいくという、自治体の首長としての力強いメッセージ、そうしたものが伝わるインタビューだった。ひたちなか市の那珂湊では、二年目の大島アナウンサーのコメント、潮来市日の出地区で渡辺アナウンサーがスタジオから当時自分が取材した体験、そのような話が被災状況をより身近に感じられるのではないかと思った。大島アナウンサーの起用と渡辺アナウンサーの自分が取材した経験した話をされたことは、秀逸だった。
 大津漁港のリポート。ここは漁業関係者の復旧だけではなく、強靭化までしてほしかった。まだ10年という声を紹介していた。復興はまだ道半ばであるということが伝わってくるが、一方で大洗まいわい市場では、復興にかける地元の皆様方の努力で確実に復興も進んでいる。  
 被災地の復興が進み、時間の経過とともに震災の記憶が薄まっていく。当時の状況や苦難を忘れることなく、今後の防災対策などに生かしていくことが重要だと改めて考えさせられた大変いい企画だった。

2021年05月31日

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