令和3年2月度 茨城放送番組審議会議事録概要

番組審議会議事録概要

令和3年2月度 茨城放送番組審議会議事録概要

開催日時
令和3年2月24日(水)
AM10:27~AM11:41
開催場所
茨城放送本社3階会議室
委員の出席 [*印 委員長 ・印 副委員長]
  • 渋 谷 照 夫 [ * ]
  • 小 西 俊 一 [ ・ ]
  • 鎌 田 賢
  • 柴 田 敦
  • 蛭 牟 田 繁

茨城放送出席者

  • 取締役会長

    北 島 重 司

  • 代表取締役社長

    阿 部 重 典

  • 編成事業部サブリーダー

    宮 田 浩 二

  • 高校野球担当(制作者)

    鹿 原 徳 夫

議題
「 追悼特別番組 ありがとう、木内監督!
高校野球、あの日、あの時、あの言葉 」
令和2年12月27日(日)15:00~16:00放送

委員からの意見

委員

 木内さんの人柄が伝わってきたいい番組だと思った。独特の茨城弁、ざっくばらんな語り口、飾らない人柄が浮かんでくる。あの笑顔が浮かんでくるような番組で、高校野球ファンの一人として、楽しく非常におもしろく聴いた。この番組の良さを振り替える時一つ思いあたったのは、関係者や家族のインタビューをつなぎ、それぞれご自身のモットーや具体的なエピソードを語っていたことにより、木内監督の人間像を浮かび上がらせたことが肝だったと思う。阿部社長のナレ―ションは、いつ、誰が、どんなことを語っているのかというだけに留め、必ずしもコメントや関係者の話したことに評価を与えず淡々と進めていた。これが一つの良かった点だったと思う。具体的な言葉をそのまま読者やリスナーに伝えることが、常套句を使わずとも、そのままリスナーや読者に伝わるのではないか。まさに成功している例だと感じた。
 膨大な音源の中から、木内さんの人柄をリスナーに伝えるにはどの音源を使うのか、どの言葉を切り出すかというのはやはり非常に大変だったなと思った。作業がとても良く、加えてそれだけの音源が残っていることは、地元の茨城放送ならではだと思う。
 木内監督はプレースタイルやらバッティングフォーム、投球フォームで選手を認識していた。彼は職業監督ということをよくいっていて、ユニフォームとプレースタイルが一致してはじめて選手を認識したという。本人も取材が来てもグラウンドをずっと見てるのだと話していた。職業監督であるが故に学校の成績などは分からないが、ユニフォーム姿の選手たちのプレーを見て、マジックと言うか、この子はこういうプレーができるのだろうというイメージが沸いたのだと非常に納得した。

委員

 木内さんという人は茨城だけではなく、日本全体の野球に大変影響のあった人物で追悼の番組をつくるにあたり苦労があったと思う。茨城放送としてはたくさんの音源があり、これを整理して1時間にまとめるというのは、大変だったと思う。聴いてみて感じたことは引き込まれてあっという間の1時間、聞きほれてしまうような番組だった。木内さんの言葉に評価をかけず生の音で感じてもらう、いろいろと考えた上で作った番組だった。聴く方がすっきりと感動的であっという間の1時間に感じた。
 導入のインパクト、木内さん独特の魅力的な茨城弁、親しみのある言葉で始めたのは素晴らしかった。その後、阿部社長の流れるようなナレ―ションが何とも言えない心地よい感じで、最初の流れが大変成功している。途中の7人インタビューでそれぞれ重みのある体験が語られ、リスナーとしては思い出しながらそうだったのかと思いながら聴けた。さらに12月2日の通夜と木内さんの最後のメッセージ、自分で遺言という言葉を使ったことも心に残った。
 選手を長い時間かけて育てるというより、短時間ですごい勢いで育てる。教育とはそういうものだと思う。木内さんの教え子が監督や様々な場所へ成長していく。木内さんの影響を受け、未だにそれが生きている。
 木内さん自身も話しているが「分からないのが子供です。分かってもらおうとは思いません」名言だと思う。そういう生き方素晴らしいと思う。
 教育というのはこうあるべきだと、本当の教育者はこうあるべきだと改めて感じた。本当にいい番組を聴かせていただいた。

委員

 甲子園で春夏通じて3度の優勝を成し遂げた高校野球の名将、木内幸男さんの追悼番組。指導者としての考え方、人柄、野球に対する熱い思いというのが良く伝わった。茨城放送に蓄積された貴重な音源を活かし、膨大な音源の中から編集し、地元の放送局にしかできない好企画だったと思う。夏の甲子園で無名の県立高校だった取手二校を率いて、桑田・清原のKKコンビのいたPL学園を下して優勝。さらに歴史の浅かった常総学院監督として、ダルビッシュ投手を擁した東北高校を破って全国制覇を果たした。数々の名勝負の場面を懐かしく思い出したリスナーが多かったと思う。超高校級の選手がいなくても教え子の能力を見極め、適材適所を徹底し成果を生んだ。木内マジックと称された大胆な策を繰り出した。相手事情も関係し、木内さん本人や関係者の声を通じて理解できた。
 ワンポイントリリーフや当時、先発完投が主流だった高校野球で勝利するためには新たな作戦を実践したことも改めて評価に値するものだと思う。2018年の座談会で、木内さんが「選手に楽しませてやって、勝って初めて人間形成につながると思う。苦しみだけではできない」と話していたことは、結果に拘りながら選手育成を図った職業監督としての木内さんの自負が伝わってくる。
 時間の制約もあると思うし、先ほど鹿原さんからも話がありなるほどと思ったが、私は願わくば甲子園の実況音声あった方が良かったと感じた。木内さんと同じ時代を生き、同じ時間を共有しているが、具体的な場面を喚起するには少しでも場面の実況と説明などがあれば、逆に木内さんの言葉とか考えがより伝わったのではと感じた。また茨城放送が取材者として関わってきた立場からの木内さんへの思いも是非聞いてみたかった。

委員

 茨城県が誇る有名人であった木内幸男監督を追悼する特別番組として、アーカイブされたコンテンツをもとに阿部社長の案内で構成されたラジオドキュメンタリーまたは伝記を聴いた。
 全国優勝2回達成の実績、様々なエピソード、独特の指導法と語り口で、高い人気と存在感を示した木内監督の活躍の様子を私は長い間一種のエンターテイメントとして受け取っていたかもしれない。番組を聴くうちに、そのような楽しい歴史を思い出しながら、本人の言葉、関係者の言葉を通じて、リーダーとしての模範とすべき人物像が次第に大きく伝わってきた。
 信頼関係に基づくチーム作り、士気のコントロールを含めたコンディション作り、選手の特徴を把握して自信をつけさせ得意なことをやらせると共に、相手の特徴と状態を分析して決断する試合運び、決勝で勝つことから逆算して作戦をたてることなど、本人が「突飛なようで計算尽く」と断言するように戦略・戦術の最適化研究の好例であると理解した。
 スポーツチームの監督やキャプテンは、理想の上司像と通じるところがあると思う。さらに、職業監督であった木内さんは、個人経営者でもあるため、経営者としての責任をもって戦略を考え抜くことを徹底していたのだと理解した。これらを総じて「弱者の兵法」と表現することも、少ないリソースで成果をあげようとする私などには勇気を与える内容だった。
 茨城放送にアーカイブされている高品質の音源を活用し、エンターテイメント性をもたせつつ感謝を表現する追悼番組でありながら大人への教育的な意図をもった番組に仕上がっていた。

委員

 今回聴いた番組は、『追悼特別番組 ありがとう、木内監督!高校野球、あの日、あの時、あの言葉』。昨年11月に亡くなった高校野球界のレジェンド木内幸男さんを追悼する番組。番組全体は、甲子園出場時のご本人のインタビューや2018年夏に行われた座談会、高校野球関係者のインタビューで構成され、「木内マジック」と賞される試合運びやユーモア溢れる名言を振り返る番組だった。高校野球ファンにはたまらない内容で、そうでない人にとっても、木内監督の野球にかける熱い情熱や教育観を感じ取ることができたと思う。
 特に高校野球ファンにとっては、取手二高の初優勝時と常総学院の初優勝時のエピソードは、何度聞いても聞き飽きることはないのではないか。取手二高優勝時の1回戦の箕島高校戦で2番手投手の柏葉投手を先発させたエピソード、決勝のPL学園戦の9回裏、ワンポイントリリーフ後すぐに先発の石田投手に再びスイッチしたエピソード。当時は、プロでもワンポイントリリーフはほとんど用いられていないと思う。常総学院優勝時の東北高校との決勝で送りバントをほとんど使用しなかったエピソード。ダルビッシュ投手は得点圏にランナーを背負ってから一段ギアをあげるスタイルであり、ギアをあげられてからではとても打てないなどは、何度聞いても感心させられる。木内監督ご本人やまわりの方々の話からすると、「木内マジック」とは行き当たりばったりの奇策ではなく、日々の観察から得たデータを適材適所で効果的に活用した結果なのだと気づかされる。個人的には、プロ野球の野村ID野球に近いものだったのではないかと思う。
 木内監督は、監督引退後も茨城訛りのユーモラスなしゃべり口で、われわれ高校野球ファンを楽しませてくれた。あの話がもう聞けなくなったのかと思うと寂しさもある。今回の特別番組は、木内監督の功績を振り返る好番組だった。

2021年03月31日

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