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2023年01月17日(火曜日)

「ニュースなニューズ」 《防災力向上へ奔走 東日本大震災・原子力災害伝承館の常任研究員  阪神淡路大震災の教訓は活かされているのか》

ニュースなニューズ。阪神・淡路大震災から28年。

福島県双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館の常任研究員、葛西優香さんは小学2年のとき、大阪・豊中市で阪神淡路大震災を経験しました。

東京での会社員生活を経て、福島県浪江町に移住した葛西さん。地域の防災力を向上させようと、自主防災組織の設立に駆け回っています。出身地の大阪では震災の教訓が活かされているのか。28年前の震災の様子などを聴きました。

 

 

(葛西さんの研究の軸とは)災害時に命を助けるような街づくりを研究をしている。住民がどう日ごろから繋がりを作り、繋がりが本当に災害にも活せるのかと
いう疑問も持ちながら研究をしている。

(震災は、地域や住民にどれだけの影響を与えたのか)この1年で解明されてはきたが、20代30代40代50代60代70代、それぞれの世代の話しを聞いてきたが、世代によっても少なからず影響は及ぼしていることはよくわかった。

(ご出身は大阪府豊中市で、36歳ですね)小学2年で阪神・淡路大震災を経験した。大きな地震だということもあまりよく理解しておらず、本当にゴジラが来たっていうふうに感じた。大人も何か「大きな怪獣」が街を踏み潰していくような音に聞こえ、その後に「縦も横もよくわからない」揺れが来たなっていうことが最初の記憶として残っている。

(自宅の状況について)10階のマンションの一室で暮らしていたが、家具の転倒防止対策も全くしていない状態で、すべてのタンスが倒れてドアが開かない状態。ガラスがたくさん入った食器棚も開き戸になり、ストッパーもしていなかった。ドアの扉が開いて中からガラスが落ち、ガラスが割れて本当にも足の踏み場がない。「そのことはこういうことを言うんだな」っていうような感じがしたし、散乱した状態が家中に広がっていた。

(避難の時はどう行動したのか)階段を降りて1階に降りることを描いたが、そもそもの階段までたどり着くのが難しい状態。和室で寝ていて、玄関に出て行くにも、家の中の廊下に出ることもできない状態だった。倒れた荷物でドアが開かず、母はキッチンに入って包丁を手に持ち、ガラス窓を包丁で割って、荷物をかき分けながら、母と姉とともに外に出た。私と姉はずっと布団の中にくるまっていたが、母の行動でやっと家の中から脱出できたことを覚えている。

(大阪あるいは神戸、被災地の現状で感じることは)28年、阪神淡路大震災から経過し、新しく作り替えられた部分もあるが、被災を思い起こすような風景というのは消えている。人間関係の営みが100%元に戻っていても、外から見えないところでいろいろなことが起きているように感じている。大阪府北部地震では、友人や私の家族の家族から送られてきた写真で、危機感を覚えた。全ての鍋が散乱したり、食器が散乱したりした状態が写っていた。いまだに高い本棚を置いたりしていて、20年以上が経過しても、転倒防止対策も十分に養われていないということに大きな危機感を覚えた。それが、阪神淡路大震災の被災地、大阪の様子かなと思う。

 

 

 

災害に立ち向かうには、過去の教訓から学ぶことが必要不可欠です。葛西さんが伝える記憶は、東日本大震災で被災した茨城にとっても命を救うための大切な伝承のひとつです。葛西さんのお話は、2月21日と28日の午前11時10分から放送するLuckyFM茨城放送の番組、「防災のチカラ」でもお届けする予定です。

 

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